江川太郎左衛門(すみだゆかりの人物を紹介します)

江川 太郎左衛門(坦庵)


画像は、日本大百科全書 第3巻(小学館、1985)より
生年:享和元年(1801)5月13日
没年:安政2年(1855)1月16日
職業:代官、兵学者

プロフィール

 伊豆韮山の代官・江川英毅の次男に生まれる。少年期は馬術や剣槍の術、また絵画や書、文や経書など幅広い分野を学ぶ。文政4年(1821)に兄・倉次郎英虎が24歳の若さで没し、天保6年(1834)に父・英毅が没したため、韮山代官を世襲する。その後、西洋流砲術や歩兵調練、ペリー来航時の品川台場築造や韮山での反射炉築造など近代軍事兵器の発展に尽力した。また、領地に天然痘が大流行した時、領民に種痘を受けさせ、命を救うなどし、民衆からの信頼も厚かった。安政元年(1854)、下田に座礁したロシアの軍艦の乗組員救助と代用船建造を行い、多忙と重責が重なり、翌年、本所の江川邸にて没す。享年55歳。

墨田区とのかかわり

 坦庵がいた頃、江川家の江戸屋敷は本所南割下水の津軽藩上屋敷の隣(現・亀沢一丁目)にあった。少年時代、父・英毅を訪ねてくる谷文晁や大国士豊など江戸後期を代表する画家や冒険家の間宮林蔵を知り、彼の人生に大きな影響を与えた。
 韮山の代官になってからは、佐久間象山が西洋流砲術を学ぶために入門してきたり、アメリカで測量術や航海術を学んだジョン=マンこと中浜万次郎を江戸の屋敷に住まわせたりした。緑町公園(外部リンク)隣のこの地には「江川太郎左衛門終焉の地」として史跡説明版がある。

参考文献

著作

関連リンク

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掲載日:2020年4月17日