すみだゆかりの人物を紹介します(佐多稲子)

掲載日
2021年10月22日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

佐多稲子

『凛として立つ』書影
画像は、『凛として立つ―佐多稲子文学アルバムー』(佐多稲子研究会/編、菁柿堂、2013)表紙
生年月日:明治37年(1904)6月1日
没年月日:平成10年(1998)10月12日
職業:小説家

プロフィール

 長崎県長崎市で生まれる。本名イネ。
 少女期から小説や詩作に親しみ、女性雑誌『女学世界』や同人誌『文藝通報』(のちの『詩と人生』)に短文や詩を投稿する。中野重治、堀辰雄、のちに二人目の夫となる作家・窪川鶴次郎ら雑誌『驢馬』の同人との交流をきっかけに、本格的に創作活動を開始する。昭和3年(1928)『キャラメル工場から』を「窪川いね子」の名で雑誌『プロレタリア芸術』に発表しデビュー。『お目見得』、『煙草工女』、『幹部女工の涙』など多数の作品を発表する。
 昭和19年(1944)に窪川と離婚、亡叔父の姓を継ぎ戸籍名は「佐田イネ」となり、筆名に「佐多稲子」を使用するようになる。戦後は平和と女性解放をめざす「婦人民主クラブ」の創立に関わり、中央委員、委員長などを歴任。女性問題や社会問題等に関する評論にも筆をふるった。
 昭和38年(1963)『女の宿』で女流文学賞を受賞。同47年(1972)『樹影』で野間文芸賞を受賞。同51年(1976)『時に佇つ(その11)』で川端康成文学賞を受賞。同58年(1983)『夏の栞-中野重治を送る-』で毎日芸術賞を受賞。同61年(1986)『月の宴』で読売文学賞を受賞。

墨田区とのかかわり

 長崎の由緒ある家柄に生まれるが、父の放蕩や母の早世のため、家計がひっ迫。大正4年(1915)に叔父・佐田秀実を頼って一家で上京、向島小梅町(現・向島2丁目)に住む。牛嶋尋常小学校に入学したが、父に仕事が見つからず、11歳の稲子は1か月ほどで通学をやめ、キャラメル工場を皮切りに、料亭、メリヤス工場などで働き、家計を支えた。なお、牛嶋尋常小学校の同学年に堀辰雄がいたことを後に知ることとなる。
 その後、兵庫県に単身赴任した父の元に引き取られるが、大正9年(1920)年に再び上京。上野の料亭で1年ほど働いたのち、日本橋の丸善書店の店員となり、寺島の長屋(所在地不明)で祖母らと暮らした。この家は同12年(1923)の関東大震災で半壊、牛込納戸町に転居することとなる。

参考文献

私の東京地図(講談社、2011)
凛として立つ-佐多稲子文学アルバム-(佐多稲子研究会/編、菁柿堂、2013)

著作

佐多稲子全集 全18巻(講談社、1977-1979)
小さい山と椿の花(講談社、1987)
思うどち(講談社、1989)
あとや先き(講談社、1993)

すみだゆかりの人物リンク