すみだゆかりの人物を紹介します(幸田露伴)

掲載日
2020年11月11日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

幸田露伴

幸田露伴

画像は、『幕末・明治・大正回顧八十年史』より(パブリックドメイン)
生年:慶応3年(1867年)7月23日
没年:昭和22年(1947年)7月30日
職業:作家・随筆家・考証家

プロフィール

 本名は成行(しげゆき)、号は露伴、別号は蝸牛庵(かぎゅうあん)。
 慶応3年(1867)下谷三枚橋横町(現・台東区上野)に生まれる。同年生まれには、夏目漱石、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨らがいた。13歳で東京府第一中学(現在の都立日比谷高校)を中退後、湯島聖堂の東京図書館で読書に明け暮れる。17歳で電信修技学校に入り、翌年電信技士として北海道へ赴任するも、同地で読んだ坪内逍遥『小説神髄』がきっかけで文学の道を志し、明治20年(1887)20歳で帰京(青森から郡山まで歩いた記録は紀行文『突貫紀行』に書かれている)。同22年(1889)小説『露団々』で文壇デビュー。同25年(1892)に発表した小説『五重塔』で一躍人気作家となる。
 後半生は随筆の執筆や文学研究などを行った。明治44年(1911)には文学博士の学位を授与、昭和12年(1937)には第1回文化勲章を受章するなど、明治期を代表する作家・教養人である。
 娘は小説家の幸田文、孫の青木玉・曾孫の青木奈緒も文筆家である。

墨田区とのかかわり

 寺島村字番場二百五十五番地(現・墨田1-4)に幸田家の屋敷があり、明治26年(1893)の冬、留守番役として住んだのが墨田区との最初の接点。同30年(1897)から寺島村元寺島千七百十六番地(現・東向島1-9)に住み、幸田文はここで生まれた。同41年(1908)年には寺島村千七百三十六番地(現・露伴児童遊園)に新居を構えて、大正13年(1924)に小石川へ転居するまでここで暮らした。
 露伴が隅田川の近くで過ごしたことは、随筆『水の東京』、『夜の隅田川』にも表れている。また、府立第七中学校(現在の都立墨田川高校)の校歌を作詞するなど、墨田区とのかかわりは深い。

参考文献

すみだゆかりの作家(墨田区教育委員会社会教育課/編・発行、1984)
墨田人物誌(墨田区区長室(広報広聴担当)/編、墨田区、1982)
幸田露伴と明治の東京(松本哉/著、PHP研究所、2004)

著作

露伴全集(岩波書店、1978-80)
五重塔(岩波書店、1994)
運命(岩波書店、1979)
一国の首都(岩波書店、1993)
努力論(KADOKAWA、2019) ほか

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