すみだゆかりの人物を紹介します(佐原鞠塢)

掲載日
2021年12月8日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

佐原鞠塢(さはらきくう)

佐原鞠塢
画像は、『園のいしぶみ』(佐原平兵衛/編集)より
生年:宝暦12年(1762)
没年:天保2年(1831)8月29日
職業:商人、文人、本草学者

プロフィール

 仙台生まれ。通称平八。天明年間(1781~89)に江戸に出て、江戸三座のひとつである中村座の芝居茶屋に奉公。10年ほど働いて蓄えた財産で、日本橋住吉町(現・中央区日本橋人形町)に北野屋平兵衛と名乗って骨董屋を開く。商才、鑑識眼に優れ、加藤千景、亀田鵬斎、太田南畝(蜀山人)ら多くの文人から愛顧を受け、商売は繁盛。文化の華開く時代に一代で財をなした。しかし、商売上の問題で咎めを受け隠居、さらに剃髪して佐原鞠塢と称する。その後、文化元年(1804)頃に寺島村(現・東向島3)に3,000坪(約1万㎡)の土地を購入し、庭園を開園。この庭園は「百花園」と呼ばれ、文人墨客が集まるサロンとなった。『群芳暦』『墨水遊覧誌』など数多くの著作を残し、70歳で生涯を終えた。

墨田区とのかかわり

 骨董屋をやめて隠居した先が中之郷(現・向島1丁目付近)であった。やがて向島墨堤のほとりにあった旗本・多賀氏の屋敷3,000坪を購入し、庭園を開いた。この庭園に骨董屋時代のなじみであった文人たちが集まりはじめ、文学や芸術を語る文化サロンとして利用されるようになった。当初は「新梅屋敷」、「花屋敷」などと呼ばれていたが、「梅は百花に魁(さきが)けて咲く」という酒井抱一の言葉から「百花園」と名付けたと伝わる。文政2年(1819)に園内に窯を築き、隅田川周辺の土を使った焼き物をつくり、「隅(角)田川焼」と名付けて好評を博した。また、墨堤の桜の捕植にも尽力し、隅田公園にある「墨堤植桜之碑」にそのことが刻まれている。

参考文献

すみだゆかりの人々 続(墨田区教育委員会社会教育課/編集、1992)
向島文学散歩(すみだ向島文学のまち実行委員会、2010)
向島百花園 改訂版(前島康彦/著、東京都公園協会、1994)
江戸の花屋敷ー百花園学入門 向島百花園創設200周年記念ー(向島百花園サービスセンター/編集、東京都公園協会、2008)

参考サイト

向島百花園(東京都公園協会 公園へ行こう!)
すみだ郷土文化資料館 企画展「開園200年記念百花園」(平成16年開催) 紹介ページ(墨田区公式ウェブサイト)

著作

墨水遊覧誌 ※『江戸叢書 巻の1』(江戸叢書刊行会/編、名著刊行会、1964)所収
 国立国会図書館デジタルコレクション『墨水遊覧誌』
羣芳暦ー「羣芳暦」読みと訳・植物名ー改訂(梅屋鞠塢/撰、向島百花園ガイドの会/編、向島百花園ガイドの会、2009)
 国立国会図書館デジタルコレクション『群芳暦』
園のいしぶみ 複製(佐原平兵衛/編、1894)
 国立国会図書館デジタルコレクション『園のいしふみ』

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