すみだゆかりの人物を紹介します(葛飾北斎、森鷗外)

掲載日
2020年6月23日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

葛飾 北斎

葛飾北斎 肖像画

画像は、国立国会図書館デジタルコレクション『戯作者考補遺』(木村黙老/著、国本出版社)より
生年月日:宝暦10年(1760)9月23日
没年月日:嘉永2年(1849)4月18日
職業:浮世絵師

プロフィール

本所割下水(現・亀沢)に生まれ、幼名を時太郎といい、のちに鉄蔵に改名する。父は川村氏、母は小林平八郎の孫娘だが、のちに叔父にあたる幕府御用鏡氏中島伊勢の養子となる。6歳頃から作画へ興味を持ち始め、10代は彫刻を学んだり、貸本屋の従弟となって、本の挿絵等から絵の自習をしたりする。安永7年(1778)、当時役者絵の第一人者と言われた勝川春章に入門し、翌年には春朗の号を与えられ、専ら役者絵や黄表紙の挿絵を描くが、寛政6年(1794)に勝川派を離脱する。その後、狩野融川・堤等琳・住吉内記等に師事して諸家の法を学び、洋画の研究も行う。寛政7年(1795)、四代宗理を襲名し摺物と狂歌絵本の挿絵を中心に活躍する。寛政10年(1798)、北斎辰政と号し琳派から独立、『北斎漫画』の刊行など多岐にわたり活躍する。文政8年(1825)頃から天保3年(1832)にかけて発表した『冨嶽三十六景』は彼の代表作で、日本的風景画様式が完成した。天保5年(1834)には、晩年の代表作となる『富嶽百景』を発表する。

墨田区とのかかわり

本所割下水に生まれ、現在の亀沢を振出しに、緑、石原…と89年間の生涯のうちに93回の転居を行い、そのほとんどを「すみだ」で過ごし、多くの名作を残した。作品の中には、両国橋や三囲神社、牛嶋神社など、当時の「すみだ」の景色を描いたものが数多くある。

参考文献

墨田人物誌 第2版(墨田区区長室(広報広聴担当)/編集、1984)
すみだゆかりの人々 墨田区教育委員会社会教育課/編(墨田区教育委員会社会教育課、1985)
葛飾北斎学習読本(すみだ北斎美術館、2018)

著作

富嶽百景(芸艸堂、2004)
北斎漫画 VOL.1~3(青幻舎、2010‐11)
北斎富嶽三十六景(岩波書店、2019)

関連機関

すみだ北斎美術館

森 鷗外


画像は、国立国会図書館「近代日本人の肖像」より
生年:文久2年(1862)2月17日
没年:大正11年(1922)7月9日
職業:医師、軍人、小説家、翻訳家、戯曲家、評論家等

プロフィール

19歳で東京大学医学部を卒業、医学博士となる。その後、陸軍軍医となり、ドイツに留学。軍医、官僚として活躍するかたわら、多くの優れた小説、戯曲、翻訳、評論を発表し、日本の近代文学史上に大きな足跡を残した。

墨田区とのかかわり

文久2年(1862)に現在の島根県津和野町に生まれた森鷗外(本名:森林太郎)は、明治5年(1872)10歳の時に父・静男とともに上京した。初めに向島小梅村の旧津和野藩主亀井家下屋敷(現・向島三丁目)、翌月からは屋敷近くの小梅村87番(現・向島二丁目)の借家で暮らすようになり、翌年には家族も上京。3年後には小梅村237番(現・都立本所高校の辺り)にあった約300坪の隠居所に移り住んだ。弟・篤次郎、妹・きみ(小金井喜美子、作家・星新一の祖母)は、当時隅田川の川辺にあった「牛嶋学校」(現・向島二丁目)に学び、父は、亀井家の侍医のほか、自宅で患者の診療もした。この向島の家のことを森家では「曳舟通りの家」と呼び、明治12年(1879)千住に転居するまでの多感な青年期をここで過ごした。
代表作『渋江抽斎』には「わたくしは幼い時向島小梅村に住んでいた」と記してあり、弘福寺や常泉寺などがある周辺の様子や人々についても、詳しく書き残している。最初の号「牽舟居士(ひきふねこじ)」は曳舟川から取ったものであり、後の号「鷗外」は、隅田川の都鳥(ゆりかもめ)にちなんだものと思われる。
なお、墓所は亀井家の菩提寺でもあった向島の弘福寺にあったが、関東大震災後、三鷹市の禅林寺と津和野町の永明寺に改葬された。

参考文献

鷗外の坂 森まゆみ/著(新潮社ほか)
新潮日本文学アルバム1 森鷗外(新潮社、1985)
鷗外の思い出 小金井喜美子/著(岩波書店ほか)

著作

鷗外全集 全38巻(岩波書店、1971-90)
森鷗外全集 全14巻(筑摩書房、1995-96)
舞姫・うたかたの記 改版(KADOKAWA、2013)
山椒大夫・高瀬舟・阿部一族 改版(KADOKAWA、2012)

すみだゆかりの人物リンク