すみだゆかりの人物を紹介します(長谷川宣以(平蔵))

掲載日
2020年11月20日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

長谷川宣以(平蔵)

鬼平犯科帳の世界

画像は、『鬼平犯科帳の世界』(池波正太郎/編、文春文庫、1990)表紙
生年:延享2年(1745)※推定
没年:寛政7年(1795)5月19日
職業:旗本

プロフィール

 幼名は銕三郎(てつさぶろう)、諱は宣以(のぶため)、家督相続後は父と同じ平蔵を通称とする。
 父は、京都町奉行に抜擢され、従五位下・備中守となった宣雄(のぶお)、母は長谷川家に出仕していた女中。赤坂筑地中之町(現・港区赤坂)に生まれ、5歳の時に筑地湊町鉄砲洲(現・中央区湊)の屋敷に移る。明和元年(1764)南本所三之橋通(現・菊川駅近く)に屋敷替えをする。
 明和5年(1768)23歳で十代将軍徳川家治に御目見し、長谷川家の家督相続人となる。その後、旗本大橋与惣兵衛の娘と結婚し、二男三女をもうける。安永2年(1773)父の逝去により家督を継ぎ、小普請の職を与えられる。同3年(1774)に江戸城西の丸御書院番士、同4年(1775)に御進物番、天明4年(1784)に御徒頭を任ぜられ、出世を続ける。同6年(1786)御先手弓頭に任命され活躍し、同7年(1787)に火附盗賊改役に抜擢される。寛政元年(1789)無宿人対策として寄場の創設を提言し、同2年(1790)石川島(現・中央区佃)に日本初の無宿人更生施設である人足寄場を設置し、取扱役を命じられる。

墨田区とのかかわり

 明和元年(1764)本所三之橋通(現・菊川駅近く)に屋敷替えをして以降、自宅で50歳の臨終を迎えるまで、居住地として慣れ親しむ。一説によれば、青年時代は放蕩の生活を送り『本所の銕(てつ)』と呼ばれた。
 菊川の屋敷は、宣以の孫の時代である弘化3年(1846)『遠山の金さん』で知られる遠山景元と屋敷替えする。

参考文献

長谷川平蔵ーその生涯と人足寄場ー(滝川政次郎/著、朝日新聞社、1975)
鬼平・長谷川平蔵の生涯(重松一義/著、新人物往来社、1999)
鬼平がよみがえるー時代の魁・長谷川平蔵ー(久田俊夫/著、東洋経済新報社、1999)

すみだゆかりの人物リンク