すみだゆかりの人物を紹介します(芥川龍之介、伊藤左千夫)

掲載日
2020年7月28日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

芥川 龍之介

画像は、Wikimedia Commonsより(パブリックドメイン)
生年月日:明治25年(1892)3月1日
没年月日:昭和2年(1927)7月24日
職業:小説家、文学者

プロフィール

東京市京橋区入船町(現・中央区明石町)に新原敏三、ふくの長男として生まれる。辰年辰月辰日に生まれたことにちなんで「龍之介」と命名された。生後すぐ母が精神を病み、母方の実家(芥川家)に引き取られ、養子となる。
大正3年(1914)、東京帝国大在学中に久米正雄、菊池寛らと「新思潮」を創刊。同5年(1916)発表の「鼻」で夏目漱石に才能を認められ、文壇へ登場。卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、作品を次々と発表。同8年(1919)海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。古典を素材にした王朝物、吉利支丹(キリシタン)物で新技巧派の代表的作家となる。晩年、神経衰弱を病み、昭和2年(1927)7月24日に〈将来に対する唯ぼんやりした不安〉のため享年36歳(満35歳)の若さで自殺。その死は知識人に強い衝撃を与えた。好んで河童の絵を描いたことから、命日は河童忌と呼ばれている。

墨田区とのかかわり

生後すぐ、本所区小泉町15番地(現・両国三丁目)にある芥川家の実家に引き取られ、5歳の時に江東尋常小学校付属幼稚園(回向院に隣接)、翌年同小学校(現・両国小学校)へ入学。その後、府立第三中学校(現・都立両国高校)、第一高等学校、東京帝国大学と進学。本所両国は龍之介にとって幼少時から青年期までの大事な時期を育んだ場所となった。
龍之介は大川(隅田川)を愛し、下町を愛した。特に大川端は心に忘れ難い心象風景を形づくり、自身の作品『大川の水』で「自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」といっている。大川を中心とした御竹蔵(現在の江戸東京博物館周辺)や回向院など、この地の空間が龍之介の成長期の性格形成に大きな影響を与えた。

参考文献

墨田人物誌 第2版(墨田区区長室/編集、1984)
すみだゆかりの作家(墨田区教育委員会社会教育課/編集、墨田区教育委員会社会教育課、1984)
コンサイス日本人名事典 第5版(三省堂編修所/編、三省堂、2009)
講談社日本人名大辞典(上田正昭/ほか監修、講談社、2001) ※オンラインデータベース「ジャパンナレッジLib」にて各図書館・コミュニティ会館図書室からも利用可能

著作

芥川龍之介全集 全24巻(岩波書店、1995~98)
大川の水・追憶・本所両国(講談社、1995)
羅生門・鼻・芋粥 改版(KADOKAWA、2007)

伊藤 左千夫


画像は、国立国会図書館デジタルコレクション『左千夫全集 第1巻』(伊藤左千夫/著、春陽堂)より
生年:元治元年(1864年)8月18日
没年:大正2年(1913年)7月30日
職業:歌人、小説家、牛乳搾取業

プロフィール

本名は幸次郎。豪農・伊藤良作の四男として上総国武射郡殿台村(現・千葉県山武市殿台)に生まれる。明治14年(1881)17歳で政治家になることを希望、上京し、明治法律学校(現・明治大学)に入学したが、眼病のため修学を断念、故郷に帰る。同18年(1885)21歳で家出し、今度は実業家を目指して再度上京。幾つかの牛乳採取業者を転々とした後、同22年(1889)25歳で本所茅場町三丁目18番地(現・江東橋三丁目)に牧場を購入し、牛乳搾取業を開業。経済的余裕の出てきた同26年(1893)29歳のとき同業の伊藤並根(なみね)の手引きで和歌を詠み始め、このことが左千夫の文学開眼のきっかけとなる。同33年(1900)36歳の時、新聞「日本」への投稿を通じて知り合った正岡子規の門に入り短歌革新運動の一翼を担い、子規の没後はその中心として歌誌「馬酔木(あしび)」、その後、「アララギ」を創刊し、斎藤茂吉などの著名な歌人を育てあげた。一方、子規の提唱した写生文を試みるうちにその延長として小説を書き始め、同39年(1906)42歳の時、俳句雑誌「ホトトギス」で発表した処女作『野菊の墓』は、夏目漱石から激賞の手紙を受けるなど好評を博し、映画やドラマ化されるなど今日に至るまで純愛小説の金字塔としての地位を確立している。

墨田区とのかかわり

明治22年(1889)25歳で本所茅場町三丁目18番地(現・江東橋三丁目)で牛乳搾取業を開業してから、大正2年(1913)50歳で大島町亀戸902(現・江東区大島六丁目)に移るまでの約24年間、現在の墨田区に住み続けた。その間、搾乳業を営む傍ら、正岡子規の後継として、歌人としての地位を確立し、代表作である小説『野菊の墓』を始め、墨田区を舞台とした写生文『牛舎の日記』、『水害雑録』などの作品を残した。また、墨東低地帯である墨田区に住んでいる期間、度々、水害に遭ったり、子供4人を幼くして亡くすなどの不幸に見舞われたが、作家活動と仕事を両立させ、近代短歌の革新など文学界の発展に寄与した。

参考文献

左千夫全集 第8巻(岩波書店、1977)
作家の自伝 102 伊藤左千夫(日本図書センター、2000)
現代語で読む野菊の墓(理論社、2012)

著作

左千夫全集 全9巻(岩波書店、1976~77)
伊藤左千夫全短歌集(岩波書店、1986)
野菊の墓 改版(新潮社、2018)

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