すみだゆかりの人物を紹介します(遠山景元、古今亭志ん生)

掲載日
2020年9月29日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

遠山 景元(遠山 金四郎)

遠山景元

画像は、千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵(パブリックドメイン)
生年:寛政5年(1793)8月
没年:安政2年(1855)2月29日
職業:江戸後期の幕臣

プロフィール

 本名は遠山景元。金四郎は通称。左衛門尉に叙任。号は帰雲。父は景晋。
 公事方勘定奉行などを経て、天保11年(1840)北町奉行に就任。裁判にあたっては庶民に同情的な吟味をしたといわれる。天保の改革で過酷な取締政治を主導する老中・水野忠邦、南町奉行・鳥居耀蔵と対立、天保14年(1843)に市政から外され大目付となる。水野忠邦らの失脚後、弘化2年(1845)南町奉行に復帰する。嘉永5年(1852)病気により辞職し隠居。63歳で死去。
 のちに歌舞伎、講談、小説などで語り継がれ、勧善懲悪時代劇の主人公「名奉行遠山の金さん」として知られるようになった。俗説では、桜吹雪の刺青(いれずみ)があったといわれる。

墨田区とのかかわり

 南町奉行時代の弘化3年(1846)「屋敷替」により遠山家下屋敷は「本所三ノ橋通」(現・菊川駅近く)へと移された。屋敷替の相手は長谷川平蔵宣昭(のぶあき)。火附盗賊改「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(のぶため)の孫である。「鬼平」の孫と「遠山の金さん」が屋敷替をしたのである。

参考文献

遠山金四郎(岡崎寛徳/著、講談社、2008)
日本史人物辞典(日本史広辞典編集委員会/編、山川出版社、2000)
遠山金四郎の時代 (藤田覚/著、講談社、2015)

 

古今亭志ん生(5代目)

古今亭志ん生
画像は、『アサヒグラフ』 1955年新年号(朝日新聞社)より(パブリックドメイン)
生年:明治23年(1890)6月5日
没年:昭和48年(1973)9月21日
職業:落語家

プロフィール

 神田区亀住町(現・千代田区外神田五丁目)で巡査・美濃部戌行の五男に生まれる。本名は美濃部孝蔵。明治38年(1905)15歳で実家を出て、放蕩無頼の生活をおくるうち落語家を志すようになる。明治43年(1910年)三遊亭小円朝(2代目)に入門、三遊亭朝太の芸名をもらう。以後、16回にわたって改名し、昭和14年(1939)古今亭志ん生を襲名。昭和20年(1945)慰問興行のために満州へ向かったが、敗戦によりしばらく帰国できなかった。昭和22年(1947)に帰国した後はラジオ、テレビに引っ張りだことなり、戦後の落語ブームの先頭を切った。当時ともに二大名人とよばれた桂文楽(8代目)とは対照的な、型にはまらない芸風が持ち味である。
 昭和32年(1957)から6年に渡って落語協会会長をつとめ、昭和39年(1964)に紫綬褒章を受章した。

墨田区とのかかわり

 昭和3年(1928)、本所区業平橋一丁目(現・墨田区業平一丁目)に転居し、7年ほど住んでいた。住居は湿地を埋め立ててつくられた長屋で、なめくじが多数生息していたため、「なめくじ長屋」と呼んでいた。長屋の住人について自伝『びんぼう自慢』(毎日新聞社、1964)のなかで「近所の人はみんないい人たちばかりで、醤油がねえといえばかしてくれる。お茶がないといえばお互いに都合し合う。(中略)人情てえものは、ほんとうにうれしいもンでしたよ。」と語っている。
 達磨横丁(現・吾妻橋一丁目、東駒形一丁目・二丁目あたり)が舞台の人情噺の傑作「文七元結」は、子の志ん朝とは違った志ん生独特の味わいがある。

参考文献

わたしの寄席 (安藤鶴夫/著、河出書房新社、2008)
小沢昭一がめぐる寄席の世界 (小沢昭一/著、筑摩書房、2008)
合本東京落語地図 (佐藤光房/著、朝日新聞社、1992)
江戸府内町名俚俗名等切図集覧 72-90(江戸町名俚俗研究会、1958)

著作

びんぼう自慢 (小島貞二/編、筑摩書房、2005)
なめくじ艦隊 (筑摩書房、1991)
志ん生長屋ばなし(小島貞二/編、筑摩書房、2005)

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