すみだゆかりの人物を紹介します(勝海舟、江川太郎左衛門)

掲載日
2020年4月17日

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

勝海舟

勝海舟銅像

画像は、墨田区役所前うるおい広場内(外部リンク)
生年:文政6年(1823)1月30日
没年:明治32年(1899)1月19日
職業:政治家、蘭学者、伯爵、海軍卿、枢密顧問官

プロフィール

下級幕臣・勝左衛門太郎(小吉)の長男に生まれる。13歳頃から島田虎之助について剣術を修め,弘化2年(1845)頃から永井青崖について蘭学を学ぶ。嘉永3年(1850)赤坂で蘭学塾を開く。その後、長崎海軍伝習に幹部候補生として参加。万延元年(1860)、咸臨丸の艦長として太平洋を横断しサンフランシスコに行く。戊辰戦争では西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城に成功した。これにより江戸の街の壊滅を防ぎ、近代日本の発展の礎となった。新政府では海軍大輔、参議兼海軍卿、元老院議官を歴任し、後に枢機顧問官になるなど、明治になっても活躍した。

墨田区とのかかわり

本所亀沢町の父小吉の実家である、男谷久斎の邸内(現・両国公園付近)に生まれる。少年時代は本所入江町(現・緑四丁目)の岡野家の持ち家に住み、久斎から剣の手ほどきを受ける。稽古に行く途中、犬に襲われて一命にかかわる負傷をし、回復を祈って小吉が能勢妙見(本所四丁目)で祈願をした話は「夢酔独言」(勝小吉)にも載っている。剣の修行時代には弘福寺(向島五丁目)に参禅して精神修養もした。墨田区役所うるおい広場には「勝海舟銅像」、両国公園内には「生誕の地」記念碑があるなど、墨田区とのかかわりは多い。

参考文献

墨田人物誌(墨田区区長室(広報広聴担当)、1984)
東京都<墨田区,江東区>人物・人材情報リスト2019(日外アソシエーツ、2018)

著作

勝海舟全集(勁草書房、1977-)
海舟座談(岩波書店、1983)
海舟語録(講談社、2004)ほか

江川 太郎左衛門(坦庵)


画像は、日本大百科全書 第3巻(小学館、1985)より
生年:享和元年(1801)5月13日
没年:安政2年(1855)1月16日
職業:代官、兵学者

プロフィール

伊豆韮山の代官・江川英毅の次男に生まれる。少年期は馬術や剣槍の術、また絵画や書、文や経書など幅広い分野を学ぶ。文政4年(1821)に兄・倉次郎英虎が24歳の若さで没し、天保6年(1834)に父・英毅が没したため、韮山代官を世襲する。その後、西洋流砲術や歩兵調練、ペリー来航時の品川台場築造や韮山での反射炉築造など近代軍事兵器の発展に尽力した。また、領地に天然痘が大流行した時、領民に種痘を受けさせ、命を救うなどし、民衆からの信頼も厚かった。安政元年(1854)、下田に座礁したロシアの軍艦の乗組員救助と代用船建造を行い、多忙と重責が重なり、翌年、本所の江川邸にて没す。享年55歳。

墨田区とのかかわり

坦庵がいた頃、江川家の江戸屋敷は本所南割下水の津軽藩上屋敷の隣(現・亀沢一丁目)にあった。少年時代、父・英毅を訪ねてくる谷文晁や大国士豊など江戸後期を代表する画家や冒険家の間宮林蔵を知り、彼の人生に大きな影響を与えた。
韮山の代官になってからは、佐久間象山が西洋流砲術を学ぶために入門してきたり、アメリカで測量術や航海術を学んだジョン=マンこと中浜万次郎を江戸の屋敷に住まわせたりした。緑町公園隣のこの地には「江川太郎左衛門終焉の地」として史跡説明版がある。

参考文献

墨田区史跡散歩 小島 惟孝/著(学生社、1993)
みやこどり-すみだ郷土文化資料館だより 第9号(すみだ郷土文化資料館)
評伝江川太郎左衛門-幕末・海防に奔走した韮山代官の軌跡評伝江川太郎左衛門(時事通信出版局、2009)

著作

江川坦庵全集(巌南堂書店、1979)

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