2010年4月1日
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2010年4月号
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ヴィータ・テクニカ 生命における主体/生態ににおける視点 後 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か 死ぬことができる「国家」の提示 / 子安宣邦 リハビリテーション身体論 身体の自由を求めて / 宮本省三 家族・性・市場 差異とのつきあい方・2
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2010年3月15日
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2010年4月臨時増刊号
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総特集 ドストエフスキー 話はそう単純にはいかない 暴走する物語、立ちつくす作者 /鹿島田真希 牢獄の壁に記す / 黒川創 ドストエフスキーの負のエネルギー / 中村文則 ユーモリストとしてのドストエフスキー / 豊崎由美 実在としてのラス
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2010年3月1日
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2010年3月号
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ヴィータ・テクニカ 生命における主体/生態ににおける視点 中 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か 文化共同体としての民族とは / 子安宣邦 リハビリテーション身体論 ポパーとリハビリテーション / 宮本省三 家族・性・市場 差異とのつきあい方
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2010年2月1日
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2010年2月号
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ヴィータ・テクニカ 生命における主体/生態ににおける視点 前 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か 「民族」を語り出すこと / 子安宣邦 リハビリテーション身体論 ヴァレラとリハビリテーション / 宮本省三 家族・性・市場 ベーシックインカム・
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2010年1月1日
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2010年1月号
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ヴィータ・テクニカ 生態学的転回について 後 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か 和辻に「市民社会」はない 「町人根性」と「資本主義の精神」/ 子安宣邦 日本を問い直す 追悼する者とされる者と / 川田順造 家族・性・市場 ベーシックインカム
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2009年12月15日
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2009年12月臨時増刊号
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総特集 フッサール 現象学の深化と拡張 <視ること>の倫理 フッサールにおける「理性」概念の再定義/ 田口茂 生き方について哲学はどのように語るのか 現象学的還元の「動機問題」を再訪する / 吉川孝 現象学的な意味の理論 ブレンターノからイ
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2009年12月1日
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2009年12月号
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ヴィータ・テクニカ 生態学的転回について 中 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か 経済社会をどう読み直すか トロブリアンド島からの視点 / 子安宣邦 日本を問い直す 戦争体験は伝えられるか? / 川田順造 通天閣 飛田残月(2) 敷居の上の町
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2009年11月1日
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2009年11月号
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ヴィータ・テクニカ 生態学的転回について 前 / 檜垣立哉 和辻倫理学とは何か なぜ二人共同体から始まるのか 「公共性の欠如態」としての共同体 / 子安宣邦 リハビリテーション身体論 リープマンとリハビリテーション 失行症患者に対する認知運
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2009年10月1日
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2009年10月号
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和辻倫理学とは何か 人間共同体という倫理学の語り 和辻におけるヘーゲルとは何か/ 子安宣邦 リハビリテーション身体論 ジャクソンとリハビリテーション 片麻痺の臨床神経学 / 宮本省三 日本を問い直す 八月一五日、靖国・千鳥ヶ淵・東京都慰霊堂
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2009年9月1日
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2009年9月号
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和辻倫理学とは何か 人の肉体は物体化・個別化されるか 個人殺しの物語 / 子安宣邦 リハビリテーション身体論 ヴィゴツキーとリハビリテーション 運動発達と認知運動療法の道具 / 宮本省三 日本を問い直す 「植民地」を求めた「帝国」 / 川田
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