半藤一利(すみだゆかりの人物を紹介します)

半藤一利

半藤一利
画像は、『半藤一利の昭和史』(文藝春秋、2021)表紙
生年月日:昭和5年(1930)5月5日
没年月日:令和3年(2021)1月12日
職業:作家、編集者

プロフィール

 昭和5年(1930)南葛飾郡大畑村字吾嬬(現・八広3丁目)に生まれる。同18年(1943)府立第七中学校(現在の都立墨田川高校)に入学。東京大空襲の後、新潟県長岡市に疎開、新潟県立長岡中学校(現在の新潟県立長岡高校)に通う。旧制浦和高校を経て、同24年(1949)東京大学に入学。在学中はボート部に所属、全日本選手権で優勝している。
 昭和28年(1953)文藝春秋社に入社。「文藝春秋」、「週刊文春」などの編集者、編集長として活躍。作家・坂口安吾との出会いをきっかけに、歴史研究に目覚める。編集業と並行して作家業を開始。同40年(1965)『日本のいちばん長い日』を執筆、ベストセラーとなる。平成5年(1993)『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞を受賞。
 平成7年(1995)文藝春秋を退社、本格的に作家に転身。【歴史探偵作家】と自称し、近現代史に関する著作を多数発表する。『ノモンハンの夏』で山本七平賞、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞、平成27年(2015)菊池寛賞を受賞。
 妻の半藤末利子氏は夏目漱石の孫にあたり、随筆家として多くの作品を発表している。

墨田区とのかかわり

 父は運送業を営み、向島区議会議員も務めた。母は地元で知らぬ者のない名産婆だった。幼少期は、生家の近くにある三輪里稲荷神社(八広3丁目)の境内を遊び場とした。14歳の時に東京大空襲に遭遇、猛火に追われるも中川(現在の旧中川)の水辺に逃れ、奇跡的に生き延びることができた。
 高校時代に始めたボート競技では、隅田川に艇を浮かべ練習に励んだ。東京大学の艇庫は、当時隅田公園18番地(現在の首都高速6号線向島出入口あたり)にあり、隣接する「あばら家に近い家屋」(『半藤一利―橋をつくる人―』(平凡社)より)で合宿生活を送ったという。ボート競技への愛情は深く、平成28年(2016)に隅田公園(外部リンク)(向島一丁目3番)に建立された隅田川ボート記念碑の建設委員会の会長を務め、撰文も記している。
 すみだで暮らした青年期までの生活が、歴史研究のみならず、永井荷風、宝井其角、大相撲などの研究に大きな影響を与えている。

参考文献

著作

すみだゆかりの人物紹介

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

掲載日:2021年4月16日