滝田ゆう(すみだゆかりの人物を紹介します)

滝田ゆう

滝田ゆう

画像は、『滝田ゆう-昭和×東京下町セレナーデ-』(平凡社、2017)表紙
生年:昭和6年(1931)12月26日 ※出生届は、同7年(1932)3月1日
没年:平成2年(1990)8月25日
職業:漫画家、エッセイスト

プロフィール

 向島区寺島町5丁目(現・東向島5丁目)で生まれる。本名は、瀧田祐作。第二寺島国民学校(現在の第二寺島小学校)卒業後、電機第一工業学校電機科(現在の東京電機大学高等学校)へ入学。後に退学し、都立墨田川高校の夜間部を卒業、國學院大学中退。
 昭和24~25年(1949~50)頃、漫画家を目指し、『のらくろ』の作者・田河水泡の内弟子となる。田河の紹介で同27年(1952)『漫画少年』(学童社)に描き、デビュー。同31年(1956)から10年ほどは貸本屋向けの漫画単行本を中心に描く。同42年(1967)『月刊漫画ガロ』(青林堂)に作品を発表し始め、翌年から連載された『寺島町奇譚』シリーズが絶賛され、注目を浴びた。
 愛嬌のある風貌からテレビのクイズ番組、コマーシャルなどにも起用され、お茶の間の人気者としても愛された。昭和57年(1982)10月、脳血栓症で倒れたが、左手の麻痺を克服し、その後もイラスト、エッセイなどで活躍する。同49年(1974)文藝春秋漫画賞、同62年(1987)日本漫画家協会賞大賞を受賞。平成2年(1990)、肝不全のため逝去した。享年58。勲四等瑞宝章受章。

墨田区とのかかわり

 生母が出産した翌日に亡くなったため、伯父・重太郎夫婦に引き取られる。生まれ育ったのは、「玉の井」(現・東向島5~6丁目、墨田3丁目あたり)と呼ばれる銘酒屋街(私娼街)があった一帯であった。昭和14年(1939)8歳の時に重太郎が再々婚し、「スタンド・ドン」というスタンドバーを営む義母・わきと共に暮らすこととなる。同20年(1945)東京大空襲で向島一帯は焼失し、「スタンド・ドン」も焼けたが、滝田一家は全員無事であった。この頃の生活体験をもとに、数多くの作品が生まれた。
 代表作『寺島町奇譚』は、自身をモデルにした少年を主人公にした半自伝的な漫画で、戦禍で失われてしまった寺島町界隈の庶民の生活と人間模様を温かな目線で描き、その人情味あふれる柔らかなタッチは、滝田特有のジャンルとして高く評価されている。

参考文献

著作

すみだゆかりの人物紹介

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

掲載日:2021年2月19日