森鷗外(すみだゆかりの人物を紹介します)

森 鷗外


画像は、国立国会図書館「近代日本人の肖像」(外部リンク)より
生年:文久2年(1862)2月17日
没年:大正11年(1922)7月9日
職業:医師、軍人、小説家、翻訳家、戯曲家、評論家等

プロフィール

19歳で東京大学医学部を卒業、医学博士となる。その後、陸軍軍医となり、ドイツに留学。軍医、官僚として活躍するかたわら、多くの優れた小説、戯曲、翻訳、評論を発表し、日本の近代文学史上に大きな足跡を残した。

墨田区とのかかわり

 文久2年(1862)に現在の島根県津和野町に生まれた森鷗外(本名:森林太郎)は、明治5年(1872)10歳の時に父・静男とともに上京した。
 初めに向島小梅村の旧津和野藩主亀井家下屋敷(現・向島三丁目)、翌月からは屋敷近くの小梅村87番(現・向島二丁目)の借家で暮らすようになり、翌年には家族も上京。3年後には小梅村237番(現・都立本所高校の辺り)にあった約300坪の隠居所に移り住んだ。弟・篤次郎、妹・きみ(小金井喜美子、作家・星新一の祖母)は、当時隅田川の川辺にあった「牛嶋学校」(現・向島二丁目)に学び、父は、亀井家の侍医のほか、自宅で患者の診療もした。この向島の家のことを森家では「曳舟通りの家」と呼び、明治12年(1879)千住に転居するまでの多感な青年期をここで過ごした。
 代表作『渋江抽斎』には「わたくしは幼い時向島小梅村に住んでいた」と記してあり、弘福寺や常泉寺などがある周辺の様子や人々についても、詳しく書き残している。最初の号「牽舟居士(ひきふねこじ)」は曳舟川から取ったものであり、後の号「鷗外」は、隅田川の都鳥(ゆりかもめ)にちなんだものと思われる。
 なお、墓所は亀井家の菩提寺でもあった向島の弘福寺にあったが、関東大震災後、三鷹市の禅林寺と津和野町の永明寺に改葬された。

参考文献

著作

関連リンク

すみだゆかりの人物紹介

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

掲載日:2020年6月23日