葛飾北斎(すみだゆかりの人物を紹介します)

葛飾 北斎

葛飾北斎 肖像画

画像は、国立国会図書館デジタルコレクション(外部リンク)戯作者考補遺』(木村黙老/著、国本出版社)より
生年月日:宝暦10年(1760)9月23日
没年月日:嘉永2年(1849)4月18日
職業:浮世絵師

プロフィール

 本所割下水(現・亀沢)に生まれ、幼名を時太郎といい、のちに鉄蔵に改名する。父は川村氏、母は小林平八郎の孫娘だが、のちに叔父にあたる幕府御用鏡氏中島伊勢の養子となる。6歳頃から作画へ興味を持ち始め、10代は彫刻を学んだり、貸本屋の従弟となって、本の挿絵等から絵の自習をしたりする。安永7年(1778)、当時役者絵の第一人者と言われた勝川春章に入門し、翌年には春朗の号を与えられ、専ら役者絵や黄表紙の挿絵を描くが、寛政6年(1794)に勝川派を離脱する。その後、狩野融川・堤等琳・住吉内記等に師事して諸家の法を学び、洋画の研究も行う。寛政7年(1795)、四代宗理を襲名し摺物と狂歌絵本の挿絵を中心に活躍する。寛政10年(1798)、北斎辰政と号し琳派から独立、『北斎漫画』の刊行など多岐にわたり活躍する。文政8年(1825)頃から天保3年(1832)にかけて発表した『冨嶽三十六景』は彼の代表作で、日本的風景画様式が完成した。天保5年(1834)には、晩年の代表作となる『富嶽百景』を発表する。

墨田区とのかかわり

 本所割下水に生まれ、現在の亀沢を振出しに、緑、石原…と89年間の生涯のうちに93回の転居を行い、そのほとんどを「すみだ」で過ごし、多くの名作を残した。作品の中には、両国橋や三囲神社、牛嶋神社など、当時の「すみだ」の景色を描いたものが数多くある。

参考文献

著作

関連リンク

関連機関(外部リンク)

すみだゆかりの人物紹介

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

掲載日:2020年6月23日