遠山景元(すみだゆかりの人物を紹介します)

遠山 景元(遠山 金四郎)

遠山景元

画像は、千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵(外部リンク)(パブリックドメイン)
生年:寛政5年(1793)8月
没年:安政2年(1855)2月29日
職業:江戸後期の幕臣

プロフィール

 本名は遠山景元。金四郎は通称。左衛門尉に叙任。号は帰雲。父は景晋。
 公事方勘定奉行などを経て、天保11年(1840)北町奉行に就任。裁判にあたっては庶民に同情的な吟味をしたといわれる。天保の改革で過酷な取締政治を主導する老中・水野忠邦、南町奉行・鳥居耀蔵と対立、天保14年(1843)に市政から外され大目付となる。水野忠邦らの失脚後、弘化2年(1845)南町奉行に復帰する。嘉永5年(1852)病気により辞職し隠居。63歳で死去。
 のちに歌舞伎、講談、小説などで語り継がれ、勧善懲悪時代劇の主人公「名奉行遠山の金さん」として知られるようになった。俗説では、桜吹雪の刺青(いれずみ)があったといわれる。

墨田区とのかかわり

 南町奉行時代の弘化3年(1846)「屋敷替」により遠山家下屋敷は「本所三ノ橋通」(現・菊川駅近く)へと移された。屋敷替の相手は長谷川平蔵宣昭(のぶあき)。火附盗賊改「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(のぶため)の孫である。「鬼平」の孫と「遠山の金さん」が屋敷替をしたのである。

参考文献

関連リンク

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掲載日:2020年9月29日