吉川英治(すみだゆかりの人物を紹介します)

吉川 英治(よしかわ えいじ)

吉川英治
画像は、Wikimedia Commonsより(パブリックドメイン)
生年月日:明治25年(1892)8月11日
没年月日:昭和37年(1962)9月7日
職業:小説家

プロフィール

旧小田原藩士・父・吉川直広、母・イクのもと、神奈川県久良岐郡中村根岸(現、横浜市中区)で生まれる。本名は吉川 英次(よしかわ ひでつぐ)。父が牧場経営に失敗し、家運が傾いたため明治36年(1903)小学校を中退。いくつもの職業を転々としながら作家活動を続け、大正10年(1921)から同12年(1923)まで東京毎夕新聞社に勤務し、「親鸞記」などを執筆、以後文筆生活に入る。昭和8年(1933)の『鳴門秘帖』などで人気作家となる。
昭和10年(1935)より連載が始まった『宮本武蔵』は多くの読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層に親しまれ「国民文学作家」と呼ばれた。
昭和37年(1962)9月7日、肺癌のため築地の国立がん研究センター中央病院で死去。享年70歳。

【主な受賞歴】
昭和28年(1953)菊池寛賞 「新・平家物語」
昭和30年(1955)文藝春秋読者賞 「忘れ残りの記」
昭和30年(1955)朝日文化賞 「新・平家物語」
昭和35年(1960)文化勲章
昭和37年(1962)毎日芸術大賞 「私本太平記」
昭和37年(1962)贈 勲一等瑞宝章(没時叙勲)

墨田区とのかかわり

明治43年(1910)18歳で上京。本所菊川町(現、立川四丁目)のラセン釘工場の工員宿舎に住み込み、夜は本所林町(現、菊川一丁目)の府立夜間職工学校で、工芸図案を学ぶ。その後、浅草三筋町にある輸出用金属象嵌の下絵描きの徒弟となった。大正6年(1917)25歳の時、下谷の花街で知り合った赤沢やすの寺島村(現、東向島一丁目)の家で同棲を始め、母たちを近くの寺島村(現、東向島三丁目)の借家に呼んだといわれている。

参考文献

著作

関連リンク

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掲載日:2024年1月18日