幸田文(すみだゆかりの人物を紹介します)

幸田 文

幸田文

画像は、『こんなこと』(創元社、1951)より(パブリックドメイン)
生年:明治37年(1904)9月1日
没年:平成2年(1990)10月31日
職業:随筆家・小説家

プロフィール

 東京府南葛飾郡寺島村大字寺島1716番地(現・東向島1丁目9番)に作家・幸田露伴の次女として生まれる。生母は明治43年(1910)文が6歳のときに死去。同44年(1911)に寺島尋常高等小学校(現在の第一寺島小学校(外部リンク))に入学、大正6年(1917)に卒業、女子学院(現在の女子学院中学校・高等学校)に入学する。リウマチを患う継母に代わり、10代後半から家事のほとんどを行うようになる。昭和3年(1928)清酒問屋・三橋家の三橋幾之助と結婚、翌年娘・玉(のちの青木玉)を出産するも、同13年(1938)に離婚、実家へ戻る。
 昭和22年(1947)43歳のときに父・露伴が80歳で死去。その看病記であるデビュー作「雑記」を雑誌『芸林閒歩』に発表、好評を博す。昭和24年(1949)随筆「みそっかす」を『中央公論』に連載。以降、小説『黒い裾』、『流れる』、『おとうと』などの名作を発表。読売文学賞、新潮文学賞、日本芸術院賞、女流文学賞等を受賞。
 昭和51年(1976)日本芸術院会員に選出される。平成2年(1990)心不全のため86歳で死去。没後、従四位勲三等瑞宝章を受章。
 娘の青木玉、孫の青木奈緒もエッセイストとして活躍している。

墨田区とのかかわり

 寺島村大字寺島1716番地に生まれ、明治41年(1908)4歳のときに寺島村大字寺島1736番地(現・露伴児童遊園(外部リンク))に転居。大正13年(1924)20歳のときに小石川に転居するまで、墨田区で暮らした。
 代表作『みそっかす』は小学校を卒業するまでの想い出を綴ったエッセイ、『おとうと』は弟・成豊(しげとよ)をモデルとした自伝的小説で、いずれも幸田家の家族関係や当時の向島の様子をうかがい知ることができる作品である。このほか墨田区を舞台とした作品に、父・露伴との日常を綴った『こんなこと』などがある。

参考文献

著作

関連リンク

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掲載日:2021年1月22日