芥川龍之介(すみだゆかりの人物を紹介します)
芥川 龍之介
画像は、Wikimedia Commonsより(パブリックドメイン)
生年月日:明治25年(1892)3月1日
没年月日:昭和2年(1927)7月24日
職業:小説家、文学者
プロフィール
東京市京橋区入船町(現・中央区明石町)に新原敏三、ふくの長男として生まれる。辰年辰月辰日に生まれたことにちなんで「龍之介」と命名された。生後すぐ母が精神を病み、母方の実家(芥川家)に引き取られ、養子となる。
大正3年(1914)、東京帝国大在学中に久米正雄、菊池寛らと「新思潮」を創刊。同5年(1916)発表の「鼻」で夏目漱石に才能を認められ、文壇へ登場。卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、作品を次々と発表。同8年(1919)海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。古典を素材にした王朝物、吉利支丹(キリシタン)物で新技巧派の代表的作家となる。晩年、神経衰弱を病み、昭和2年(1927)7月24日に〈将来に対する唯ぼんやりした不安〉のため享年36歳(満35歳)の若さで自殺。その死は知識人に強い衝撃を与えた。好んで河童の絵を描いたことから、命日は河童忌と呼ばれている。
墨田区とのかかわり
生後すぐ、本所区小泉町15番地(現・両国三丁目)にある芥川家の実家に引き取られ、5歳の時に江東尋常小学校付属幼稚園(回向院に隣接)、翌年同小学校(現・両国小学校(外部リンク))へ入学。その後、府立第三中学校(現・都立両国高校)、第一高等学校、東京帝国大学と進学。本所両国は龍之介にとって幼少時から青年期までの大事な時期を育んだ場所となった。
龍之介は大川(隅田川)を愛し、下町を愛した。特に大川端は心に忘れ難い心象風景を形づくり、自身の作品『大川の水』で「自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」といっている。大川を中心とした御竹蔵(現在の江戸東京博物館周辺)や回向院など、この地の空間が龍之介の成長期の性格形成に大きな影響を与えた。
参考文献
- 墨田人物誌 第2版(墨田区区長室/編集、1984)
- すみだゆかりの作家(墨田区教育委員会社会教育課/編集、墨田区教育委員会社会教育課、1984)
- コンサイス日本人名事典 第5版(三省堂編修所/編、三省堂、2009)
- 講談社日本人名大辞典(上田正昭/ほか監修、講談社、2001)
※オンラインデータベース「ジャパンナレッジLib」にて各図書館・コミュニティ会館図書室からも利用可能
著作
- 芥川龍之介全集 全24巻(岩波書店、1995~98他)
- 大川の水・追憶・本所両国(講談社、1995)
- 羅生門・鼻・芋粥 改版(KADOKAWA、2007)
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関連リンク
- 件名「芥川龍之介」で資料検索
- 図書館ニュース
2007年7月号(PDF形式:431KB)「河童の話」
2008年1月号(PDF形式:571KB)「“すみだ”ゆかりの作家のお正月」
すみだゆかりの人物紹介
墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。
掲載日:2021年4月16日