中濱万次郎(すみだゆかりの人物を紹介します)

中濱 万次郎(ジョン・万次郎)


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生年:文政10年(1827)1月1日
没年:明治31年(1898)11月12日
職業:

プロフィール

 高知県足摺岬近くの漁村、中の浜で漁師・悦助の次男として生まれる。少年期、父が病死し、また兄が病弱だったため、家計を支えるために漁師になる。14歳の時、仲間と漁に出るが、時化に遭い、漂流、無人島にいたところをアメリカの捕鯨船に救助される。その時の船長ホイットフィールド氏は万次郎の俊敏さを見抜き、アメリカで数学や航海術などを学ばせた。24歳の時、10年ぶりに帰宅したが、万次郎を待ち受けていたのは、鎖国、そして黒船来航だった。幕府は外国との交渉に向けて、万次郎から海外事情や航海上の最新知識など多くの知識を得た。その後は軍艦操練所教授や開成学校(洋学の研究・教育機関)教授を歴任し、明治3年(1870)、欧州出張を最後に公の場から退いた。

墨田区とのかかわり

 14歳で漁に出た時、時化に遭い、アメリカの捕鯨船に助けられた縁で、アメリカで航海術等を学ぶ。帰国後、幕府に海外事情等伝えることとなり、その場で幕府幹部であった伊豆韮山代官・江川太郎左衛門と出会うことになる。当時、江川は黒船来航時の交渉役を担っていたため、万次郎を通訳者に考えていたが、老中等の思慮によりその大役は果たせなかった。しかし、江川との関係はその後も続き、江川の江戸屋敷に住んで、後の要人となる榎本武揚や福沢諭吉たちに英語や航海術等を教えたりした。27歳の時、本所亀沢町に道場を持つ剣術師範 団野源之進の次女・団野鉄を娶った後も住み続けるなど、江川家との関係は江川太郎左衛門が亡くなった後も続いた。
 ホイットフィールド船長から学んだ隣人愛にまつわる逸話がある。
 外食時、残った食べ物を永代橋の下にいる乞食に時々分け与え、その様子を見た役人が「乞食への憐み無用」と言ったことに対し、「人間は皆同じ、乞食になった無常の人生を悲しむのだ。」と諭したという。このような考えは当時の封建社会にはなかったものであった。

参考文献

著作

関連リンク

すみだゆかりの人物紹介

墨田区で生まれた、育った、暮らしたなど、すみだにゆかりのある人物を紹介します。

掲載日:2021年4月16日